戻りたいとき

 戻りたいときと言われても、……はい。あります、ありました。あれは中学生だったときのクリスマスでしょうか。コンビニにファミチキを買いに行ったんです。夜更けに、いやあれは正月か、正月でした。年越したすぐの深夜に近所の神社へお神酒をもらいに行って、その帰りにファミマへ寄ってファミチキを買ったんです。あれは年越しでした。クリスマスなんかでは全然ありませんでした。すみません。初めてファミチキを食べました。母の言いつけを守る方で、買い食いなんか強く禁じられていたものですから、コンビニでホットスナックを自分で買って食べるなんてほとんどなかったですから。おいしくも不味くもなく、ああ油だなあとただ思いました。あれより油を感じたことは後にも先にもないと思います。自分がちょうどいいところに収まった感覚がありました。何を言っているのでしょうか。今なんか自分がよくわかりませんが、当時は余計なことを考えていなかった分まだ明晰な意識があったと思います。ある種まどろみの中にいたのでしょうが、若いということはそういうことなのかもしれませんが、やはりあの明晰さはまどろみなのだと思います。混じり気なくぼやけると、そこではある意味での明快な「印象」が立ち現れてくるものです。

 世の中には嘘の思い出で生きている人がたくさんいますから、何も起こっていない人生を歩んでいる私ですが、実のところ噛み締めるに値する思い出を持ち合わせているのはこちらの方なのではないかと思ってしまいます。人と騒がなくてよかった。人と話すとそれだけの分脳みその中が、思考が漏れ出して自分の頭の中が薄まってしまいます。他人の流入を許してしまうこともあるし、門を開けるということはよほどのことがないとしてはなりません。私の記憶の中には、私が歩んだ私が、ぼやけた鮮明さで残留しています。いつだって一人の思い出ばかり残っていますが、邪魔者がいないという点で安心があります。

 いや、一人きりということに例外があって、歩んだと言って思い出したことがありますが、私は弟が一人の二人兄弟なのですが、弟とは5つ離れているのですが、私が小学校低学年かそこらの頃、その弟を連れてマンションの周りを散歩したことがあります。昔は一部屋を購入して、マンション住まいだったことがありました。8階でした。父親が一応一流企業といえるところで働いておりました。リストラされてしまったのですが、その同時期に母が内職を始められたときに、イライラした様子で私に弟を散歩に連れ出すように命じた様子を、なぜだかよく覚えています。その散歩ではネジを二つ拾い、一つを弟にあげて、しばらく進むとそのネジに対応するワッシャーをまた二つ拾い、またその一つを弟にあげて、二人で一個ずつでよかったねと笑い、マンションの周りをぐるり一周するだけでしたが、当時の私たちには小冒険でした。戻りたいといえば、平穏でありますからそうともいえるかもしれませんが、思い出にとどめておきたいという気持ちもあります。走馬燈というものがあるとしたら、その際に映ってくれれば、それはそれでいいかもしれません。思い出だけの映像にあって欲しいと思えるというのも、幸せなものです。私はそう思います。この先も、そんな記憶を形成していくように、私の時間を進行していきたいものです。